藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2000年8月11日金曜日

著作権ビジネスモデル=護送船団方式?

(2000年8月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました)

米国で19歳の若者が開発した「Napster」の登場は多くのインパクトを各方面に与えている。音楽データが無料で交換されることで,多くの損害が出るということで,全米レコード協会は徹底抗戦の構えを見せている。さらに最近では「Gnutella」など制御する中心サーバーをもたないアプリケーションの登場がさらに音楽業界の危機意識をあおっている。
パッケージビジネスの前提が崩れつつある中,デジタルコンテンツビジネスは既存のビジネスモデルを活かした形で緩やかな変化を望む既得権益の人達の希望をことごとくうち砕く方向に行っていると言えるかもしれない。
そもそも,現在のCDなどのパッケージはふたつ3つの価値の集合体である。一つ目は音楽そのものの価値,二つ目は選曲,編集の価値,三つ目はデザインなど物体としての価値である。デジタル化によって3つ目の価値が喪失したが,一つ目の音楽そのものつまり,コンテンツとしての価値が自由に流通できるようになったわけだが,忘れてならないのが,二つ目の選曲の価値である。例えばあなたが,1000曲ハードディスクに音楽データを持っていたとしても,毎日その中から聞く曲を選ぶのは結構大変なことだろう。何しろ,CDと違って選曲されていないため,色んなジャンルがあればランダムに聞くのもたぶんクールにはならない。そこに例えば,あなたの好みや過去の試聴履歴,季節や話題などを考慮して,今日聞くべき曲のリストだけ送って来てくれる「パーソナルDJ」サービスがあったとしたら,どうだろう。この場合の価値はあなたのハードディスクの中の音楽にあるのではなく,選曲してくれるパーソナルDJの人の選曲という「コンテクスト」にあることになる。この価値の対価を有料でビジネスにすれば,コンテクストの収入を音楽にまわすビジネスモデルを考えることもできるかもしれない。
つまり,パッケージからデジタルの流れは,パッケージ課金からコンテンツ課金というだけではない様々な多様なビジネスモデルの登場をもたらす可能性を秘めている。現在のノンパッケージディストリビューションの議論は違法コピー防止と課金手法の多様化のところで白熱しているが,ネットの普及がアーティストとオーディエンスの関係を変えてしまう以上,既存のビジネスモデル以外の選択肢の開拓は必要不可欠な段階に来ている。
振り返れば中世の時代は多くの芸術家は,特定の王侯貴族などのパトロンから活動費用を得ていたわけであり,近代の著作権の考え方はレコードなどの大量生産の流れの中で確立していったモデルである。しかし,工業社会から知識情報社会の変化の中で金融商品の発達している英国ではデビットボーイなどがアルバムを制作するために債券を発行するなど,新しいモデルも登場してきている。ファンというコミュニティが小口のファンドを出資して,活動を支え,産み出される作品や活動収益を配当するという金融モデルとの組み合わせも一部始まっており,インターネットのコミュニティが多数でてきている中では今後も広がっていく可能性があるだろう。つまり,IT革命とサイバースペースの登場はアーティストが活動費用を多様なビジネスモデルに委ねることを可能にするわけで,「Napster」の登場は,違法コピーしほうだい!「Gnutella」は足がつかない!という側面で見るのではなく,多様なビジネスモデルの可能性が目の前に登場してきたと捉えるべきだろう。そのため,「著作権ビジネスモデル=護送船団方式」のように守るよりは既存のアーティストやオーディエンスが挑戦する環境を整え,既存著作権の仕組みの中での不利益を最小限にとどめる保険の仕組みなど,まさに金融業界が変化せざる負えないと同様に新しい仕組みを整えることを考えるべき時期に来ているのではないだろうか。