藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2003年11月10日月曜日

IT時代のプライシング戦略 -価格のオープンソース化に備えろ!-

(2003年11月、米国版「Wired」の日本版「Hotwired Japan」で掲載されたコンテンツを編集しました)


デフレ時代に突入しても久しい。「価格破壊」という言葉はもはや当たり前のように使われており,280円の牛丼や100円ショップに言ってもちょっとやそっとで驚くことも少なくなった。しかし,慣れてしまった生活者に対し,一度激安価格の麻薬を使ってしまった企業は元には戻れない。急に付加価値を付けて高くするという戦術に切り替えてもマクドナルドのようにうまくは行かない。急にブランディングが大事だと叫んでもブランドはすぐに作れるものでもない。付加価値のある画期的な商品を開発しろと言ってもそんな簡単にできれば苦労しない。大多数の企業は絶え間ないコスト競争の中で疲弊感も感じ,逆戻りすることのないグローバリゼーションに恨み節を歌っている状況である。しかしITがもたらしているコミュニケーション革命はこの「プライシング」というデフレ時代の魔物に挑戦する戦略ツールとしての新しい可能性を与えようとしている。今回はIT時代のプライシング戦略について述べてみたい。

○訳あって安い
賢い生活者という言葉はよく使われる。確かに安いだけでは生活者もなびかない。安くて良い物を選ぶ選択眼を持っていると言われる。情報は洪水のごとく飛び交い,商品にまつわる情報は溢れている。かつて価格という強力な商品情報は情報が少ない時代においては選択時の重要な情報であった。「高いからいいものなのだろう」「安いからどこか問題があるに違いない」など,よく知らない商品を買うときは今でも少なからず価格は類推する上で重要なキーメッセージになっている。そして情報化時代になりさらに付随する情報によって,価格はより深く理解されるものになってきている。例えばユニクロでは「中国で大量に生産しているから安いのよね」という理解がされており,安さの理由を多くの顧客は理解している。スーパーの安売りにおいても大抵の主婦は「これは赤字覚悟で売って,他の商品買わせようとしているのよね」とわかりつつ,特売の一人2本までしか買うことにできない牛乳を2本だけ,しかも一緒に連れてきた子供にももう2本買わせるときには少し後ろめたさを感じている(はず?)。さらに賢い生活者はディスカウントショップの目玉商品にも「どこかで最近潰れた会社の在庫を現金で叩き買ってきたんだな」などと深読みする人もいるだろう(さすがに少ないだろうが)。このような状況で共通しているのは「安い理由を理解した」上での購買行動であるということである。逆に理解不能な価格の場合は「大丈夫なんだろうか?」「どうしてこんな価格が?」と不安感や不信感を生み出すことになる。そういう意味ではデフレ時代の価格破壊で成功した多くの企業は「こんなに安くできるビジネスの仕組みを作れた優れた企業」という情報を生活者に伝達できていたことになる。もちろん,マーケティングの基本である4Pの他の要素の本質的なプロダクトやサービス,販売チャネル,プロモーションに問題が生じればこの優位性はすぐに消失することも事実ではある。しかし,価格という記号がより膨大な情報量を秘めていることも事実であり,IT時代においては企業と顧客との間のコミュニケーションがダイレクトに容易になった状況においては,より価格を納得させる,もしくは生産者のカリスマ性など,価格差はあまり重要な要素でなくしてしまうような情報を伝えることが可能になってきている。例えば最近注目されているトレーサビリティはその商品の生い立ちから,今自分の手の中に来るまでにどのような旅をしたのかを顧客が知ることができるようになった。とても自然を愛する脱サラした農家が苦労して築いた畑で,有機肥料で,1年の月日をかけて栽培され,直接スーパーのトラックで8時間前に運ばれ,近くの工場でパックに詰められ,1時間前にこの商品棚に並んだ。ということが知ることができる。RFID(電子タグ)が普及すれば,自分の携帯電話で目の前のワインがどんな歴史を持っていて,日本のソムリエ達がどんな評価を下しているのかまで知ることも可能になる。そして何故か半額であり,その理由が温度管理を誤って,30度を一日だけ体験してしまっていることなどを知ることもできるだろう。
価格自体が重要な記号であり,類推の手がかりだった時代は終わりをつげている。価格とその意味まで知ることができ,そして恐らくその先には「利益を得ている理由」つまり適正な利益であることを伝えることが,重要な戦略になるだろう。情報公開の究極の姿はいくらで仕入れ,従業員達にいくら払い,在庫リスクがどのくらいあり,株主にも満足のいく配当をした上でのこの価格であることを伝えることができるかである。それは納得感という顧客満足の基本を満たすことを可能にする。これまで随所に見られた「少しでも高く売りつけようとしているのではないか?」「こんな価格じゃ赤字だよ。。。」という売り手と買い手の永遠のすれ違いも解消されるのだろうか。

ユビキタスの中で変化する価格
大多数の顧客が納得いかないものにバーゲンセールがある。ついこの間買った商品がバーゲンで半額で売っている。。。この事実を知ってしまった場合多くの顧客は衝撃のあまり言葉を失う。前述のようにその絡繰りを知ることで多少の気休めにはなるが,そうならないようにそもそも仕組みを作ってくれればよいという思いになる。航空業界はその先輩格である。同じ場所に行くのに,座席の広さと料理だけでとんでもない価格差の商品を作り出したり,予定変更ができるから高い,直前に空いていた場合だけ乗れるけど安いなど,隣の人は実は自分の半額の料金でのっている可能性があるばらばらの価格であるが,それでも納得のいく仕組みを作り出している。つまり需要と供給のバランスを適正化し,稼働率を少しでも高めることが大事であることを顧客にも理解させている。そしてITはこの飛行機の世界を様々な分野に広げることを可能にしている。今や急な出張の時には旅の窓口を利用しているビジネスマンも多いと思うが,直前の空いた部屋をホテル側が大放出することで定価で買う必要性はかなり減った。インターネットはリアルタイムでの情報の交換を可能にしたことで,稼働率を高めることを可能にしている。そして,さらに時間と場所の制約を取り払い,ユビキタスにいつでもどこでもコミュニケーションが可能になった状況では,がらがらの映画館が周辺5Km以内を歩いている人に半額にするから来てねという呼び込みを携帯の画面で行ったり,暇なロードサイドレストランが自分の店に近づいている30分以内に到着しそうな車のITSにデザートサービスを伝えたりすることができるようになろうとしている。つまり価格は顧客の受け取る価値と提供する企業側のコスト状況によってダイナミックに変わるべきものである。しかし多くの企業はそれにかかる膨大なコスト(夕方のスーパーの売れ残った総菜の頻繁な値札の張替には脱帽するが)と顧客の混乱を避けるために価格変動はなるべく少なくすることを常識だと思っていたわけであり,行政も価格を許認可でしばることで消費者保護であるとしてきた分野が多数ある。しかしユビキタスに情報伝達する手段を買い手と売り手が手に入れた世界では価格は価値の変化に応じて瞬間に変化することを許すことになり,顧客に新しい価値を提供することを可能にする。もちろん定価という目安は残るだろうが,ダイナミックな変化に対応できる価格戦略は重要な要素になることが間違いないだろう。

○価格を決めるのはあなたです
例えばあなたが絵を買う状況にあったとする。すでに亡くなっており,絵が売れないと生活に困る人もいない無名な画家が書いた一枚の絵画(保管コストもかかっていない)を見て,欲しいと思った時にあなたは製造コストも流通コストも考えることなく純粋に自分がそれをいくらで欲しいと思うか,自分にとっての価値で価格を決めることだろう。つまり値段はその人が買いたい価格そのものだと言えるだろう。この「一物多価」はひとつの真実であるだろう。つまり価格というものはその人の感じる価値によって決まるのがもっとも自然な姿である。しかし,工業化社会は商品の原価をベースに一律の価格を広め,価格の主導権は製造側の企業側にあることを普通にした。音楽は絵画と同じように聞く人によって感じる価値は異なるはずなのに,何故かどんな音楽もパッケージの工業製品になってしまったが故に同じような価格を与えられてしまった不幸な財となった。また経済学の基本にあるように市場の需要と供給によっても価格は決まっていくはずであるが,不透明な業界ではとてもそうとは思えない状況も多々存在する。しかしどんなにメーカーが定価を守ろうとしても,真実のニーズが情報として市場をオープンに一瞬にかけめぐるようになることで価格は人々の価値とニーズを反映するものに近づく。例えば近年で言えば中古車取引もITによって,透明性が高まり,実際のニーズが見えやすくなった業界のひとつだろう。カカクコムのように,価格情報というものを広くオープンに流通させることにより,透明性を助けることをビジネスとするサービスも登場してきている。
またさらに,C2Cのインターネットオークションように生活者と生活者が直接取引できるような市場がITによって生み出されたことによって,価格の決定権は再び生活者が取り戻すことができるようになってきたと言えるだろう。Yahooオークションで今日現在取引されている価格が現在,生活者達の真実の価値であり,事実である。新品より高い値段を付けているものも多数あるが,それはそれだけの価値があるものであり,従来は行き場もなく価格を維持するためにひそかに処分されていたような商品も便利なインターネットオークション上には多数流入してきて,大量に在庫処分されていたりするが,それはあり得ない定価だったことがよくわかる。
インターネット上ではさらに共同購買と言う,みんな集まって安くしようというような買い方も普通になってきている。これは提供者側のメリットも理解した上で,自分たちが価格を決める行為に参加することができているひとつのユニークなモデルである。一物多価であることを再認識し,オークションや共同購買のように価格を決める行為に関与することは「価格を決めたのは自分である」といことを認識でき,納得感の高い購買につながるだろう。

価格のオープンソース化
このように,ITは企業のプライシングに大きなインパクトを与えることになる。まとめると
・コスト構造など価格に関する情報公開が容易になる
・究極の単品管理によりプロダクト自身が自分の情報を持ち,自らの価値を語り始める
・ユビキタス化の中で顧客の状況,企業側の事情がコミュニケーションされ,価格はダイナミックに変化するものになる
・リアルタイムで価格を決めことができる
・デジタル財は工業製品から開放され完全な一物多価になる
・オープンな取引市場があらゆる分野で拡大する
・価格形成の仕組みに顧客が直接参加できるようになる
などにより,価格という情報の中身を誰もが知ることができ,誰も支配不能で,自らが参加可能になるというある意味「オープンソース」化される世界が訪れることになる。
もちろん従来のミクロ経済の理論としての美しい完全な競争市場になるわけではなく,不完全な競争市場で有り続けることも事実であろう。しかし情報の非対称性により需要と在庫管理のコントロールが不可能だった領域や価格弾力性のとても高い商品などは価格をオープンソース化することで事業環境やビジネスモデルに劇的なインパクトを与えることが可能になるだろう。逆に言えば価格硬直が進みすぎている業界ほど,影響は大きいと予想され,そこには大きな金塊が眠っているのかもしれない。価格を支配しようとする価格戦略は終わりの時を告げる。自らの商品やサービスに対する本質的価値に自信を持ち,プライシングは生活者とのコミュニケーションの中に委ねるという価値観への転換が必要になるだろう。