藤元健太郎のフロントライン・ドット・ジェーピー

2013年2月4日月曜日

「ローカルスタンダードとグローバルスタンダード」

AKBの今回の恋愛禁止違反も熱狂的なファンとその他の人では感じ方はかなり異なるだろう。体罰も内輪の人達と外側の人では異なる反応が出ている。相撲の世界もここ数年は閉鎖的な常識に対して厳しい風当たりが続いている。「常識」はこれまで狭いコミュニティの中で長い時間をかけて作られるものであったが,フラット化する世界の中でグローバルスタンダードと呼ばれるコミュニティの外側の基準で語られることが多くなっている。狭いコミュニティで起きる事象が問題化する背景にあるのは,ローカルコミュニティのゆらぎだろう。リーダーであるべき人々が決める「決断」はリスペクトや信頼があればローカルコミュニティの中では絶対なものになるが,自信のなさや信頼のゆらぎが起こればそれはグローバルスタンダードから見ておかしいものになる。もちろん体罰のようにあきらかにあらためるべき事象もある,今回の女子柔道はオリンピック代表というグローバルなスポーツの中での問題であるから当然グローバルスタンダードに従うべきだろう。しかし,相撲の八百長は伝統を重んじるローカルスポーツなのだとしたら,必ずしもグローバルスタンダードを当てはめるべきでも無いかも知れない。以前に800年続く裸祭りの上半身裸の男のポスターがセクハラということで問題になったが,伝統の祭りで簡単にグローバルスタンダードを当てはめるのが適切かは慎重に考えるべきだと思う。昔から日本のローカルコミュニティの権力者は「ハレ」と「ケ」でルールを変えることでコミュニティをまとめてきた。ローカルのルールを決める実力と信頼のあるものでなければローカルコミュニティのリーダーにはなれないとも言えるだろう。それは日本の政治家や経営者にも言えるだろう。つまらないスキャンダルが社会常識ルール的におかしいとたたかれて失脚するのはやはり実力が無いからだろう。ローカルのリーダーとしての信任があれば多少の問題は乗り越えられる(人生色々でごまかせた人もいましたね)。欧米の経営ルールに振り回されて本質的な企業価値を喪失している日本企業が増えている気がしてならない。株主に説明できない投資だって本気でそう思うならやるべきだろう(アマゾンはアナリストに反対され続けても物流に投資したから今がある)。相撲だって相撲協会がしっかりしていればファンはその判断についていっただろうし,AKBの問題は外野が色々言っても最後は秋元さんの判断にファンとAKBが納得すればそれでよいだけの問題のような気がする。グローバルスタンダードに日本中が全て染まることは悲しい。自己責任をやめて危ないからと伝統料理を禁止していくことが本当にいいことなのか。パワハラやコンプライアンスの基準を欧米人のルールにただ従うだけのコミュニティに力があるとは思えない。派遣など含めた働き方のルールもブラック企業があるからどんどん基準が厳しくなるが,もっと自由で選択肢が多い緩い労働基準をベースに経営者がリーダーシップを発揮する形で運用する方が望ましいに決まっている。しっかりとローカルルールを自信を持って運用するためのコミュニティのリーダーが政治家や企業,団体にいればローカルスタンダードは運用できる。何でもかんでもグローバルスタンダードに従うことをグローバル化だと思うのはやはり間違いなのだと思う。